今回は全くの個人的な内容。番外編の番外編です。
疑問とは疑いのことではありません。単純にどんな性格の人で、どんなことを言う人で、そして私がどんなことに信頼を置いていたのか。そんなことを改めて理解したくなったのです。
真っ先に思ったのは「決して嘘をつかなかった人」ということです。
私は過去に嘘をつかれたり、騙されたり、本当に恋愛では嫌な思いばかりしてきました。今度こそはと信じた人に裏切られ、人が信用できなくなり、そのせいか孤独が長引き、心はいつもズタズタだったのです。
だからこそ本当に長い苦労の先で出会った妻は、あまりに正直で、安心して心の底から感謝していました。たった6年でも、その安心感が一日として途切れることはありませんでした。
絶対に私を傷つけるようなことはせず、嘘をつかず、私という人間を明るい言葉で支えてくれました。
居なくなって分かったのは、そんな素晴らしい人は滅多にいないのです。会いたくても会えない。本当に生まれ変わって出てきてほしい。そんなことを思ってしまうほど、ここまでよくできた人は見つかりません。
真実の人
それが彼女に相応しい言葉かもしれません。
真実の人が居なくなって、私に訪れたのは、それこそ暗い階段や峠なのかもしれません。
病気の面倒を見ている間は、辛くて辛くて、逃げ出したかったけれども、いざ一緒に戦う相手がいなくなると、日々を生きる理由がなくなりました。
何のために生きるのか、自分は誰のために生きるのか、自分の存在価値とはなんなのか。色々なことが一気にまっさらになってしまう。
流石に電車に飛び込みたいとまでは思わないものの、ふとした瞬間に何もない自分に気がついてしまうのです。お金も仕事も高級車も家も、そんなものは生きる理由の代わりになりません。
しかしながら、彼女に見習うべきもう一つ重要なことがありました。
決して諦めない人
新婚旅行でスイスの山で景色を見た時、雨で全く良い写真が撮れませんでした。旅程の問題もあって初日で諦めそうになりましたが、彼女は「次の日の朝にもう一度来ればいい!」と予定を無理矢理変更しました。
結果、翌朝は信じられないほどの快晴。一緒に素晴らしい写真を残すことができました。
諦めない人が隣にいたからこそ、私は一生に一度の景色を見れたのです。
今の私は隣に居るべき人間を失い『諦めたくてしょうがない』心境にありますが、しかしながら彼女の教えを振り返ると『決して諦めてはいけない、いくらでも抜け道がある』ことに気が付かされます。
万が一にも私が自殺したり、毎日を怠惰に生きてしまったら、それは彼女を裏切ってしまうことになる。
今の時点で具体的な手段は何も浮かびませんが、それでも諦めてはいけない。諦めない先にある『快晴』をどんなことがあっても見なければいけない。そんな気持ちになります。
居るべき相棒がいないのに、その快晴を見なければならないのは、心としてはたまらなく辛いものがあります。
それでも快晴を目指し続ければ、それ以上の景色が見えるようになるかもしれません。
急に思ったのは、それだけ妻が大切で、胸がいっぱいになるほど大事な存在であったことです。
やっぱりいなくなったのは辛い。辛くてたまらない。
どうか戻って来て欲しい。生まれ変わってでも出て来て欲しい。
代わりなんていやしないけども、それでも代わりを探してしまう。
テレビのような奇跡は絶対に起きないけども、それでも信じたい。
生きている時には分からなかったことが、急に分かるようになってきました。
どうして生きている内にそれを言ってあげられなかったのか。
初めて会った時から亡くなるまで、恋愛にありがちな引っ掛かりがなかったのは本当に不思議でした。それだけ相性の良い相手だったのでしょう。一生に一度会えるかどうかの人。
そんな奇跡はもう一度起こるのでしょうか。