2024-01-01

良かった、悪かった?2023年反省会。|日本

Hongkong-street

あっという間に過ぎ去った2023年。毎年恒例の振り返りをしてみたいと思います。



AIサマリー

  • 日本は綺麗で安全で整っているが、既存のシステムが完成されすぎており、変化の余地が少ないと感じている。
  • 「社会課題」が言葉として流行っているが、大きな社会課題がほとんどなく、小さな問題に取り組んでいるという印象。
  • 他国で新たなチャレンジをし、日本の富を取り返すことが必要。
  • 日本のコピーではなく、新しい種を蒔く能力が求められている。韓国がその流れに気づき、積極的に海外で活動しているとの印象。
  • 逆張りの人生を深め、他人と同じことをするのではなく、新しい方向に進むことが重要。

アフターコロナの世界を一足先に体験し、フィールドの拡大を想う

Hongkong-street

2023年は長年にわたるコロナ問題が事実上集結し、正にアフターコロナと呼ぶにふさわしい年でした。春先を過ぎ各国の入国制限が緩和されると、あっという間にコロナ前の世界へと戻ったのでした。

私も一足早くベトナム、香港へと渡航する機会があり「やっと苦しみが終わったな」と感じたのでした。日本国内にはとっくの昔に飽きているので、コロナの3年は苦しくて苦しくて嫌で仕方が無かったです。それが緩和された開放感たるや、一言では言い表せません。

それでも規制完全解除ギリギリの渡航だったので、PCR検査を初めて受けたり、証明書類を用意したり、最初で最後かもしれない経験が沢山ありました。

3年経っても東南アジアはやっぱり面白かったし、人との出会いは格別です。ベトナムでも香港でも現地人と勘違いされて物凄いスピードで捲し立てられて「俺も変わってないみたいだな!!」と妙な安心感を覚えたのでした。

この3年日本の端から端まで見て周りましたが、日本はどこへ行っても綺麗で、安全で、整っていて、すごい国です。一方で全てが出来上がってしまったので、変化の余地が無く、全く面白く無いというジレンマを抱えています。

「社会課題」という言葉がここ数年流行っていますが、日本に大きな社会課題はもはや無い気がします。確かに小さな課題は散在していますが、クリティカルな課題ではありません。放っておいても困らないレベルの問題が多く、それを大変そうに見せて取り組んでいる場合が多いように思うのです。

一生懸命課題解決に取り組めば取り組むほど、既存のシステムを喰う事になる。つまり日本国内のパイを奪い合うことになる。これではイノベーションの創出ではなく、単なる潰し合いに繋がりかねません。

そうすると、人口が減る日本国内で動くより、人口が増える海外に活路を求めるのは当然の流れと言えます。勘違いしてはいけないのは、もはやコピーが乱舞する日本の技術や文化を輸出する時代は終わったということです。和食店もラーメン屋も、現地の人々がコピーして運用するようになっています。

そうではなく、世界のフィールドを使って新たな課題を見つけて、その解決策を作るということが必要なのです。これは外資企業が日本でやっている事と全く同じで『人の土壌で稼ぐ力を付けて戦う』という発想でいくしかありません。

外資が日本の富をしれっと海外に流出させているのと同じように、日本人は海外からその富を取り返すことで、正しいインフレへと導くことが出来るでしょう。韓国はそこに気がついてここ10年間違いなくそういうことをやっていて、最近物凄く勢いがあります。海外の免税店へ行っても、九州へ行ってもやけに羽振りの良い集団を良く見ると、韓国の人である事が多いです。

アナログからデジタルという話をしているのは、もはや日本だけなので、それらは早々に完了させて、次のフィールドとその取り組み方に目を向けないといけません。日本輸出型の古いマインドを早く終わりにしないと、本当に全滅してしまうかもしれません。

繰り返しですが、他の土壌で新たなチャレンジをし富を拡大することが、我々に残された生き残り策だと思います。小さな事でも良いので、日本のコピーではない完全に新しい種を蒔く能力が求められます。

これまでがどうでも良かったと思えるほど、限界ギリギリまで追い詰められる

Good-advice

海外に行けて喜び、そして何をすべきか学んだのも束の間、その後は一生分の不幸が襲ってきたかのようなイバラの道を歩く事になりました。

せっかく仕事の方向性も変えて、人生を整えて「さあ人生楽しむぞ!」と思った直後に、それらが全てぶち壊されるほどのダメージを被ったのです。具体的に列挙はしませんが、キャッシュは無くなり、時間は奪われ、精神的にもボロボロ。そういうことが一度ではなく、二度、三度と襲い掛かり不幸そのものであったと言えます。

これまでにも辛い事はあったように思いますが、それらが全くどうでも良いと思えるほどの破壊力であったのは間違いありません。

追い詰められた時に思ったのは「すべきことを自分はしてこれたのだろうか?」ということでした。色んな妥協や我慢を積み重ねて今があるのですが、それ即ち何もしていないということでは無いかと思えてきたのです。

本当ならどうでも良いことなのに、他人に合わせて動いていることがないか、自分に嘘をついていないか。そのような自問へと至りました。

ボロボロな自分が次にする事は、耐え忍ぶことよりも、攻めの一手な気がしてきます。何になるかではなく、何をするか。そんなことを気がつかせてくれる出来事でした。

逆張り人生を深めていく

JAL777-300

苦難を迎えた思ったのは、逆張り人生を深めていきたいとの想いです。

これまでやってきたと思っていながらも、振り返ってみれば実は大したことをやっていなかった事に気がついたわけで、それであればコツコツ訂正を入れていく必要がありそうです。

他人と同じことをするのは、パイの奪い合いに参加することですから、疲れるし、損するし、自分のメリットが享受しにくくなる行いです。だからこそ、逆張りであり、違う方向に行くのが正しいと思えます。

逆張りは誰もやっていない事をやれるので、とても面白いことです。苦難に負けず、ちょっとずつ出来ることを増やしていきたいです。





関連記事