以前車を買った話をしましたが、オーダーした日から2年ほど経ちました。なぜ私が新車にこだわったのか。それは人の死が見えていたからです。
日本人は死ぬと分かってもお金を使わない
日本人というのは本当に慎ましい民族で、歳をとって死ぬ間際になってもお金を使わないと言われています。それは「使えない」という表現の方が正しいのかもしれません。当たり前ですが、札束は、亡くなってしまえばあの世には持っていけません。
中国には紙銭という文化があって、人が亡くなると、偽のお金を燃やして天国までお金を贈るそうですが、やはり本物のお金というのは持っていけないのです。
死ぬ可能性と死なない可能性
私は妻が死ぬ可能性が高いことを悟ってから、できるだけお金を使うようにしていました。ただそれも気持ちとしては難しいもので、もしかしたら長生きするかもしれない可能性もあります。それは良いシナリオですが、その場合は普通の生活を維持しないといけないわけです。おまけに収入が一人分になるという課題もあります。
つまり90%位の確率で「お金を使い切った方が良い」と思っているが、10%のそうではない可能性もあるので、微妙に気持ちが振り切れないという問題があるわけです。
そこまでくると、もはや勇気の問題になってきて、思い切ってやってみようという振り切りをするしかなくなります。
死ぬ前に経験させたいこと
病人というのはよほど軽い病気ではない限り、調子が悪いわけです。健常者のような普通の経験は容易に実行できなくなります。そうなってくると「何を経験させるべきか」で悩むようになります。
旅行は容易には無理、外食も無理、普段の食事を豪華にすることもかえって体に悪い。結局私が思いついたのは住居と車くらいしかありませんでした。
最後に遠慮なんていらない
自分がもし死ぬとしたら、他人の汗が染み込んだシートなんて座りたくありません。もちろん大手のディーラーならしっかり清掃されているでしょうが、最後なのだからそれくらい良いじゃないかと普通に思うのです。
そしてついでに思ったのは、立派な姿で過ごさせたいということでした。
病気になると、何だか悲壮感が増して、どんどん地味になっていくのです。それは支える私もしかり、何やら普段の輝きが消えていく気がします。だったら、車位は新しいスゴイのを買って、凛とさせてやりたい、という勝手な論理で購入を決断したのでした。
高い買い物になったのは事実ですが、損をしたとか、無駄遣いとは全く思いませんでした。
結果として、レクサスのきっちりとした身なりの営業担当の人が、とても丁寧に扱う車を、美しいお店で納車されるわけで、気持ちよく過ごせたことだけでも正解だったと思います。妻は品のある仕事をしていたので、そういうイメージとも合っていて、その時の笑顔は忘れられません。
結局納車後に二回しか乗れなかったし、私には車しか残らなかったわけですが、ある時、ある現場で、誰かの記憶に残った事実は消えません。
周りからは疎まれましたよ。嫌な顔をされました。でも、それは事情を知らない人間の勝手な理屈です。そんなの無視で良いのです。
人間だから何事も躊躇してしまいますが、他人から馬鹿と言われようと、やり切ることで後悔がなくなることだけは間違いありません。
一緒に乗る妻がいないので全く走行距離が増えていませんが、ちょこちょこ旅をして、バックゲートを開けて、コーヒーを淹れて、車カフェを楽しむようにしています。最近は山形まで往復1000キロほど運転してしまいました。PHEV最大の醍醐味は、電源が使えることです。なんなら炊飯器や電子レンジまで使えるので、旅の幅が広がります。
・・・でも、やっぱり、何をやっても本当はつまらないです。
旅の相棒がいないのは。
車から膝を出して荷台に寝っ転がって、本当に安心していましたから。
どんなに車が高級になろうと、装備が立派になろうと、その体験はできません。
人生に必要なのは、やっぱり相棒だと思います。

